マスコミによる世論形成はNG
最近の放送局を見るとちょっと変。
テレビ朝日の地球環境について考える「地球温暖化プロジェクト」など、一見、良いことのようだが、どうなのであろうか。報道機関が世界のさまざまな温暖化に関する情報を客観的に視聴者に届けることはとても大切なことである。しかし、そこに「地球温暖化を防ぐ世論を形成しよう」という意図があった場合は問題だと思う。テレビ局のように視聴者に対して影響力があるメディアが、そのメディアの力を使って、メディアが考える世論を形成するというのは間違っていると思う。今回の世論形成は「環境問題」という、地球に住むわれわれが誰でも受け入れるべきことであるから問題がないように感じるが、このようにテレビ局が「テレビ局が考える地球温暖化についての考え方」を一方的に届けることは、ある種の世論操作であり、第二次世界大戦中の日本の放送局が行っていた放送と本質的に変りがない。テレビ局がキャンペーンを行ってテレビ局の意見を発信することは非常に危険である。個別の番組のキャスターが個人の意見をコメントするのとは次元が違うのだ。
放送局は大きな影響力を持つのであるから、放送局が意図を持った放送を行ってはならない。ましてや、世論形成を意図したキャンペーンでスポンサーを探して儲けるというような考え方はもってのほかだと思う。最近は、この種のキャンペーンを張る放送局が多くなってきていると思う。視聴者は注意をする必要がある。また、スポンサーもこのような放送局については注意をするべきである。
地球環境についての情報は必要である。しかし、放送局が意図を持って発信してはならない。また、中途半端な情報提供ではならない。
自分自身、地球温暖化については一種の懐疑論者であることは以前書いた。懐疑論者が生まれる原因は、中途半端な情報発信であると思う。特に環境問題、中でも地球温暖化については、一回の放送で届けられる情報には限界があるため、番組制作者には理解できても、視聴者にはコンテクストが理解できない形の番組になりやすい。放送局は情報を発信するときに、反対の意見がある場合は、その意見も情報として流す。しかし、十分な放送時間がないために、両方の考え方についての重みがイコールであるかの誤解を招くことがある。しかし、実際には主流と傍流の意見があり、傍流には傍流の理由があるのにもかかわらず、その理由については削られてしまうことが多い。このことが、地球温暖化の番組などでも実際にあり、懐疑論自体の重みを必要以上大きくしてしまった。かといって、とある温暖化論者が書いていたように、「懐疑論自体を隠してしまえ」という考え方も間違っている。情報が隠されていたことを知れば、その情報を知ったものは隠されていた情報をさらに信じ、隠していた人を信じなくなる。
「正しい情報」を「正しい形」で「隠すことなく」伝える。それがマスコミの役割。そこにマスコミの意図を入れてはならない。「正しいことを伝えること」と「よいと思われることを伝えること」は似ているがある一線で仕切られなければならない。マスコミにかかわるものはこの一線を正しく見極める必要がある。
| 固定リンク





コメント
はじめまして。遊撃手と申します。
貴ブログの記事を、私が常駐している「るいネット」に引用投稿させてもらいました。
とても素直な感覚から生まれた記事と思いました。
精力的な記事、これからも期待しております。
なお、「るいネット」には、とても役立つ認識が詰まっています。環境問題に関しても、マスコミの異常な報道の背後にある存在や、その構造なども解明されています。
是非、読んでみてください!!!
投稿: 遊撃手 | 2008年2月22日 (金) 00:02